エネルギー基本計画素案について、
「電力システムに関する改革方針」において、広域系統運用の拡大、小売・発電の全面自由化及び法的分離の方式による送配電部門の中立性の一層の確保を柱とする大胆な改革に取り組むことを閣議決定したことについては、高く評価する。
さらに、送配電部門の中立性を法的にも担保しつつ、電力供給の基盤となる送配電網整備のための投資回収がより適切に行われるとともに、分散型電源の一層の活用が進みやすい環境を実現していくことで、柔軟性のある安定供給体制を確立していくことも、大いに賛同する。
分散型エネルギーシステム内で余剰となった蓄電池の電力も含めた電力を系統に供給することを弾力的に認めるため、逆潮流に関わる運用を柔軟化し、このために必要な系統安定化のための技術革新を進めるというのも、2015年と言わず、早期に実現してほしい。
エネルギー政策の要諦は、安全性を前提とした上で、エネルギーの安定供給を第一とし、最小の経済負担で実現することである。あわせて、エネルギー供給に伴って発生する環境負荷を可能な限り抑制するよう、最大限の取組を行うことが重要である、という記述はその通りだと思う。
しかしながら、東京電力福島第一原子力発電所事故のあと、原子力発電をベース電力とするというものは、到底納得できない。東京電力福島第一原子力発電所は、5重の安全に守られ、事故はありえないとされてきたことが嘘であったことで、国民の原発への信頼は失墜し、国民の過半数が稼働に反対している中、安全が確保された原発は稼働するのは、国会議員や官僚が、経団連、銀行、電力会社の意のままに操られているという印象を受ける。
素案の中にも記述されているように、約一七千トンの使用済燃料を各原発何に保管中で、放射性廃棄物の最終処分制度を創設して以降、十年以上を経た現在も処分地選定調査に着手できていない。廃棄物を発生させた現世代の責任として将来世代に負担を先送りしないよう、高レベル放射性廃棄物の問題の解決に向け、国が前面に立って取り組む必要がある。
しかしながら、どうてい不可能な核燃料リサイクルを六ヶ所再処理工場で続けることも、トラブル続きのもんじゅに夢を託しても、解決はできない。
これ以上放射性廃棄物を増やさず、地下水脈よりずっと下の地中深くに埋めて処分することが近道を思う。そのためには、これ以上原発を再開してはならない。
素案の中には、IAEA等の場を活用し、国際社会との対話を強化し、迅速かつ正確な情報発信を行うという記述が何度かあるが、IAEAは原発推進側と密接な関係があり、その中立性に問題がある。チェルノブイリ事故後、五年を過ぎたころから毎年三百人前後の子供が甲状腺がんの手術を受けたなどの、不都合な事実に対しIAEAは、放射線との因果関係は認められないとして、過小評価した実績がある。
また、この素案には太陽光発電について、不安定、高価であるということしか記述がない。原発が重要なベース電源であると結論づけるために、太陽光発電は不都合なのだろうか。
原発が稼働していないことで、化石燃料を大量に買い付けなくてはならないリスクについては、太陽光などの新エネルギーに早く切り替えていくことで対応すべきだと思う。また、不安定な太陽光を安定させるため、安価で大容量の蓄電池の配備に税金を投入し、原発産業からのフェーズアウトを提案する。
日本には過疎や、限界の地域が多くあり、使用していない土地に太陽光発電設備と蓄電設備を増やすことで、地域の活性化と、電気の分散、安定供給につながり、国民を原発の恐怖から解放することができる。
我が家では4年前に太陽光パネルを設置した。平成二十二年には、消費電力の七割しか発電しなかったが、冷蔵庫、エアコン、LEDなどを徐々に新しい省エネモデルに換えた結果、平成二十五年年では百二十パーセントを発電した。このような取り組みを日本レベルで行えば、原発がなくても、化石燃料の輸入を減らすことができる。
真に国民の安心、安全と、将来世代のことを考えると、原発をベース電源と位置付けた素案を、新エネルギー重視に大きく見直すべきと思う。